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安藤忠雄、安藤忠雄建築研究所

安藤忠雄:1941年大阪府生まれ。1969年安藤忠雄建築研究所を設立。1997年東京大学教授。2003年東京大学を定年退官、東京大学名誉教授。2005年東京大学特別栄誉教授。国立近現代建築資料館名誉館長。
主な受賞に、1979年日本建築学会賞(住吉の屋)、1985年アルヴァ・アアルト賞、1995年プリツカー賞、2003年文化功労者、2005年 UIA(国際建築家連合)ゴールドメダル、レジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)、2010年文化勲章、2013年芸術文化勲章(コマンドゥール)、2015年イタリア共和国功労勲章など。
安藤忠雄建築研究所:1969年安藤忠雄により設立。

ブルーノ・タウト

1880年5月4日ケーニヒスベルク生まれ。1909年、フランツ・ホフマンと共同で、ベルリンで設計事務所を設立。
1916年、トルコのコンスタンチノープル(現イスタンブール)にドイツ・トルコ友好会館建設1921年~24年、マクデブルク市建築課勤務。1924年、ベルリン住宅供給公社ゲハークの主任建築家就任、ブリッツ・ジードルング等を設計する。1930年、ベルリンのシャルロッテンブルク工科大学客員教授。1932~33年、ソビエト連邦にて活動。1933年5月3日来日(敦賀着)。1934年、高崎に移住、井上工芸研究所顧問として工芸製品のデザイン、製作指導を行う。1936年10月15日離日、同年イスタンブール着。1938年12月24日心臓疾患で病没(58歳)。

吉田鉄郎

1894年5月18日、富山県礪波郡福野町生まれ。
1919年、東京帝国大学建築学科卒業、逓信省営繕課に入省。
1944年、逓信省営繕課を退職。
1946年、日本大学教授に就任。
1949年、闘病のため、日本大学を退職。
1956年9月8日、死去(62歳)。

財団法人こどもの国建設協力会、浅田孝、イサム・ノグチ、菊竹清訓、大谷幸夫、黒川紀章、大髙正人、鈴木彰 他

財団法人こどもの国建設協力会:1961年、こどもの国建設推進委員会として朝日新聞東京本社内に設置。1962年、こどもの国建設協力会発足。1974年、財団法人こどもの国協力会に改組。2008年、解散。
浅田孝:マスタープラン、自然プール、皇太子記念館を設計。
イサム・ノグチ:屋外スケート場、A地区児童遊園・児童館を設計。
菊竹清訓:林間学校を設計。
大谷幸夫:A地区児童遊園・児童館を設計。
黒川紀章:フラワーシェルター、セントラルロッジ、野外集会場、アンデルセン記念の家を設計。
大髙正人:修学旅行会館(実現せず)を設計。
鈴木彰:交通訓練センターを設計。

坂倉準三

坂倉準三:建築家。1901年 5月29日岐阜県に生まれる。1927年東京帝国大学文学部美学美術史学科美術史卒業、渡仏し1931年から5年間ル・コルビュジエに師事。帰国後、1940年に坂倉準三建築研究所を開設。1969年 9月1日没

菊竹清訓・菊竹清訓建築設計事務所

菊竹清訓:建築家。1928年4月1日福岡県久留米市生まれ。1950年、早稲田大学理工学部建築学科卒業後、株式会社竹中工務店に入社。1953年、菊竹建築研究所開設。1960年、メタボリズム・グループを結成。2011年12月26日没。
菊竹清訓建築設計事務所:1953年菊竹清訓により菊竹清訓建築研究所として設立。1962年菊竹清訓建築設計事務所に改称。2011年解散。

原広司、RAS建築研究所、原広司+アトリエ・ファイ建築研究所

原広司:建築家。1936年生。1964年東京大学大学院博士課程修了。1969年東京大学生産技術研究所助教、1970年アトリエ・ファイ建築研究所と協働開始。建築設計で多数の受賞があるのみならず、教育活動においても多数の建築家を輩出している。
アトリエ・ファイ建築研究所:1970年に原広司と協働開始。1999年より原広司+アトリエ・ファイ建築研究所に改称。

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